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万 世 橋 (まんせい ばし)

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mansei bridge

  万世橋は、千代田区神田須田町1丁目と外神田1丁目との間で、国道17号(本郷通り)を渡す橋である。

  江戸の頃、江戸城郭内と市街地とを結ぶ城郭門の筋違御門が置かれ、現橋の上流に筋違橋と呼ばれる郭門橋が架けられていた。(筋違御門図の左下に筋違橋、右岸側(上方側)に柳原土手が描かれている 御門内の広場は火除地である) 将軍の上野寛永寺参内の道筋にあたり、御成橋とも呼ばれた。寛永13年(1636年)の創架と伝えられているが確実ではない。

  筋違いとは、郭内の日本橋・神田方面と郭外の湯島・本郷方面を結ぶ道路(御成道)と、郭内の小川町方面と郭外の外神田・下谷方面とを結ぶ道路(中山道)がこの橋に対して斜めに交叉していたことによっている。

  明治6年、道路改修により城郭門が取壊され、石塁の石を利用した石造アーチ橋が、筋違橋のやや上流に架設された(肥後の石工による)。この橋は、時の東京府知事により万代(よろずよ)橋と命名されたが、いつのころからか「万世橋」と書かかれ、「まんせいばし」と呼ばれるようになっている。

  明治36年、道路改修によりほぼ現橋の位置に鋼アーチ橋がかけられ万世橋と命名された。この時、石造アーチ橋は元万世橋と改称されたが、明治39年甲武鉄道の万世橋駅建設工事(後の中央線の始発駅。現在交通博物館になっている)のために撤去されている。

  万世橋の周辺は、鉄道、幹線道路、市電(路面電車)が集中する交通ターミナルとして、関東大震災までは東京一の地価を誇る繁華街であった。現橋の堂々たる風格の親柱と橋詰の肉料理店が、架橋当時の雰囲気を伝えている。

  現在の橋は、震災復興事業による復興橋梁である。スパンドレルの石組や高欄を鋼製にするなど、隣接する昌平橋のデザインをコピーしている。
  • 橋梁形式   鉄筋コンクリートアーチ橋
  • 橋  長   26.00m
  • 幅  員   36.00m
  • 架設年次   昭和 5年9月
  • 建設機関   東京市
  • 管理機関   国土交通省
  • 最 寄 駅   JR秋葉原駅