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昌 平 橋 (しょうへい ばし)

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syouhei bridge

  昌平橋は、千代田区神田淡路町2丁目と外神田1丁目との間で、都道405号線(外堀通り)を渡す橋である。

  橋名は、元禄4年(1691年)五代将軍綱吉によって命名された。綱吉は、孔子の霊廟である湯島大聖殿を湯島に建立して、その付属学舎を孔子の生地・魯の昌平郷陬邑(すうゆう)(後の山東省曲阜(きょくふ))にちなんで昌平黌と名づけた。この時、聖堂近くの神田川に架かっていた橋を昌平橋と改名させたものである。もとの名は、新シ橋、相生橋などと呼ばれていた。その創架は正保年間(17世紀中頃)と伝えられるが確実ではない。

  明治維新後、徳川氏の威光の残渣を嫌う新政府により、古名の相生橋にもどされたという。明治6年に洪水により流失している。架橋位置が御茶ノ水の切り通しから平地への出口にあたり、しばしば洪水の被害を受けてきたこともあって、流失後30年近く再架されることがなかった。明治32年、地元民の請願により、木橋時代よりもやや下流側の現在の位置に、鉄トラス橋が架設された。この時、橋名は再び昌平橋となっている。

  現在の橋は、関東大震災直前に架設された鉄筋コンクリートアーチ橋を、震災復興事業により拡幅したものである。中央に自動車専用橋、両側に歩行者専用橋が配置されている。
  • 橋梁形式   鉄筋コンクリートアーチ橋
  • 橋  長   22.90m
  • 幅  員   30.60m
  • 架設年次   昭和 5年2月(拡幅部)
  • 建設機関   復興局
  • 管理機関   東京都
  • 最 寄 駅   JR秋葉原駅/御茶ノ水駅