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一 石 橋 (いちこく ばし)
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一石橋は、中央区八重洲1丁目と日本橋本石町1丁目との間で、都道405号線(外堀通り)を渡す橋である。
この橋の創架は明らかでないが、寛永江戸図には一石橋とあるので、寛永9年(1632年)以前からあったものと推定されている。橋名は、この橋の左岸側に金座支配の後藤庄三郎、右岸側に呉服所頭取の後藤縫殿助の屋敷があったので、両方の後藤(五斗)で一石というのに由来するという。
明治6年(1873年)10月には長14間・幅3間の木橋に、また明治37年(1904年)4月には長14間・幅7間1尺の木橋に改架された。
大正11年(1922年)12月には、長24間(43.6m)・幅15間(27.3m)の
鉄筋コンクリートアーチ橋
となった。この橋は、関東大地震を耐えて昭和を迎えている。
昭和39年(1964年)、首都高速道路の建設に伴い、下流側の橋詰広場を呉服橋ランプが専有することとなり、親柱などが撤去された。昭和48年(1973)3月、首都高速道路・八重洲線が橋台と重複するところから、上流側のほぼ二分の一が架替えられた。さらに、平成13年(2001)3月、呉服橋ランプの改修に伴い下流側も架替えられた。
本ページの写真は、下流側の状況である。河川中央の橋脚に、右側からランプが接続している。
<上、下流分離構造:( )内は下流側の値>
- 橋梁形式 2径間連続鋼鈑桁橋
- 橋 長 60.80m
- 幅 員 13.25m(14.00m)
- 架設年次 昭和48年3月(平成13年3月)
- 建設機関 東京都
- 管理機関 東京都
- 最 寄 駅 JR東京駅
地下鉄半蔵門線三越前駅
(旧橋諸元)
- 橋梁形式 2径間鉄筋コンクリートアーチ橋
- 橋 長 43.60m
- 幅 員 27.30m
- 架設年次 大正11年8月(東京市)
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