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神 田 橋 (かんだ ばし)
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神田橋は、千代田区大手町1丁目と内神田1丁目との間で、都道403号線(日比谷通り)を渡す橋である。
江戸の頃、江戸城内廓と市街とを結ぶ神田橋御門の廓門橋である。その創架は明らかでないが、慶長江戸図(1602年)に神田橋とあるので、江戸開府の頃と推定される。橋名は、地名に由来する。橋の西南側に大井大炊頭の屋敷があり、大炊殿橋(おおいどの ばし)とも呼ばれたことがあったらしい。湯島の神田明神は、もともとこの橋の内郭側にあったとされている。
明暦、享保、明和などの大火で焼けたが、そのたびに再架されている。
明治6年(1873年)、櫓門が撤去されて橋だけとなった。明治17年(1884年)、木橋に再架された。その後、道路拡幅や路面電車の開通などで改修されている。
旧橋の木橋は、関東大地震により、火災を起こして焼失した(*1)。大正14年4月、震災復興事業により一ツ橋と同形式で再架(橋長32.10m・幅員33.00m)された。
現在の橋は、営団地下鉄千代田線の建設に伴い架替えたものである。
地下鉄は、日本橋川の直下に計画され、施工法として凍結工法が採用された。この工法では、川底の凍結・融解による地盤変形が生じるところから、橋本体への影響が予測され架替ることになったものである。地下鉄工事に際して、この橋への影響を回避する検討はなされなかった。
現在の橋に、旧橋のイメージは残されていない。桁高の低い3連のH桁、パイルベント橋脚など、仮橋のような印象を受ける。軽い感じの橋体とやや重い感じの高欄とのバランスが取れていない。
(*1)大正12年関東大地震震害調査報告 昭和2年12月 土木学会 P−43
「(神田橋の)橋脚は、欅丸太杭を打込んだものであり、水面付近は防腐のため鉄網コンクリートで被覆してある。主桁は、欅の丸太及び角材であり、その上に檜の敷板を張ってある。舗装は、敷板の上に厚1.5寸位のモルタルを敷き、車道ではその上に木塊を張り、歩道ではモルタルのタイルを敷いていた。このように、路面下では橋脚、主桁、敷板など全ての木材が露出していたため、橋下船舶の火災から引火し、全部が焼け落ち、電車軌道の片側および橋脚のコンクリート被覆部分のみが残存した。」
- 橋梁形式 単純非合成H桁橋
- 橋 長 36.70m
- 幅 員 33.00m
- 架設年次 昭和55年11月
- 建設機関 東京都
- 管理機関 東京都
- 最 寄 駅 地下鉄丸の内線/半蔵門線/千代田線大手町駅
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