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日  本  橋 (にほん ばし)

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nihon bridge

1.江戸期---木造反り橋の時代

  日本橋が架けられたのは、徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603年)とされている。架橋の翌年、東海道など五街道の起点となり、文字通り、日本の中心をなす橋となった。当初は、2本の丸太の二本橋であったという説があるほどで、かなり粗末なものであったらしい。しかし、寛永初期(1624〜30年代)とされる「江戸図屏風」には、すでに擬宝珠つきの反り橋が描かれ、橋周辺のにぎわいをみることができる。擬宝珠は、橋の格を表すものであり、廓門橋の他江戸市中で擬宝珠を飾った橋は、東海道筋(現在の銀座通り)の日本橋、京橋、新橋の3橋だけであった。

 南詰には、高札場、晒し場が置かれた。高札場は、幕府の統治政策のPRセンターであり、晒し場は、幕府の権力を示すシンボルであった。

 日本橋周辺は、北詰の魚河岸、川筋の米河岸、材木河岸などが並び、人や情報や物資の集散する物流センターであった。近江商人、伊勢商人などの大店が軒を連ねて、呉服・木綿・薬などの各種問屋や小売商が立地するなど、江戸を支える巨大な商業地域となっている。これらは、日本橋川の水運によっている。

  江戸時代を通して、この橋も火災に起因する架替をたびたび行っており、記録に残るだけでも12回を数えている。江戸橋と同様に、おおよそ20年ごとに架替えられていたことになる。


2.明治期---洋風木造桁橋の時代

  明治3年(1870年)、維新政府はこの橋を木橋に改架したが、明治5年4月の銀座大火のため焼失した。翌年の明治6年5月、銀座通りを日本橋から新橋までを煉瓦街にしたとき、西洋式の木桁橋を架けている。この橋は、従来のような反り橋ではなく、人力車や乗合馬車がスムーズに交通できるよう、緩やかな縦断勾配となっていた。このことは、東京の橋が、舟運のほか道路交通へ適合しはじめたことを示している。ディテールには、歩車分離のガードレール、擬宝珠を廃止したトラス構造の高欄、石造りの親柱と両袖などが設けられていた。主桁、橋脚には槻を用い、橋脚は補強トラス組が施され青ペンキで塗装されていた。

  明治15年(1882年)、鉄道馬車が開通して歩車分離のガードレールが撤去され、明治35年(1902年)、路面電車の開通に合わせて幅6間を8間7分に拡幅している。


3.大正・昭和期---石造アーチ橋の時代

  現在の橋は、東京市により明治44年(1911年)に架けられた、2連の石造アーチ橋である。具体の構造は、主構造を花崗岩の御影石で構築、内部には当時の最先端材料であるコンクリートと煉瓦を用いている。こうした石造アーチ橋は、以降東京で架橋されたことない。
  なお、石造アーチに用いる石材は、もっぱら安山岩を主体にしていた。しかし、日本橋では、固く火災に弱いとして敬遠されていた花崗岩を用いている。花崗岩による白々とした色彩と光沢は、東京に新鮮な風景を創りだし、以降大正期の装飾橋梁や関東大震災後の復興橋梁にも多用されるようになった。

  木造桁橋の架替については、明治中頃から話題になっていたが、デザインをめぐって世論に対立があったらしい。一方は、伝統を重んじて、擬宝珠高欄のある木橋とすべきとの主張であり、他方は、この橋の歴史性を尊重しつつ周辺の建築様式との調和を重視して、西洋式橋梁との主張である。東京市は苦慮した上、後者の考えを採用した。橋梁技術者・米元晋一が構造設計、建築家・妻木頼黄が意匠設計を行った。装飾部は東京美術学校が制作した。橋梁技術者、建築家、彫刻家の協力のもと、明治国家の威信を示す装飾橋梁を建設したのである。

  この橋は、大正12年の関東大地震に良く耐え、昭和を迎えた。なお、地震に伴い発生した火災により照明装置、高欄、敷石、アーチリングの一部などが被害を受けたため、昭和3年、東京市が修復工事を行った。


4.日本橋の現在

  平成11年4月3日、日本橋架橋88周年記念行事が、名橋「日本橋」保存会主催のもとに挙行された。
  保存会は、昭和43年に設立され、年に一度行われる「橋洗い」などの清掃や環境整備への取組み、またイベントの開催などを行ってきた。88周年記念イベントは、77周年、80周年に継ぐもので名橋の米寿を祝って盛大に行われた。パレードには1,300人が参加、沿道には35.000人が詰めかけたという。

  この88周年を機に、平成11年5月13日付け官報公示により、日本橋は重要文化財の指定を受けた。
 指定にかかる主たる理由は、明治期の道路用橋梁の技術的達成度を示す貴重な道路橋であるという土木史的な重要性、また土木技師、建築家、彫刻家が協同した装飾橋梁の代表作であり、ルネッサンス式による橋梁本体と和漢洋折衷の装飾との調和、その意匠的完成度の高さなどが挙げられている。
  指定に先立ち、損傷の激しかった装飾柱を中心に創建当初の状態への復元修復が行われた。


  • 橋梁形式  石造りアーチ橋
  • 橋  長  49.10m
  • 幅  員  27.30m
  • 架設年次  明治44年3月
  • 建設機関  東京市
  • 管理機関  国土交通省
  • 最 寄 駅  地下鉄東西線日本橋駅          半蔵門線三越前駅