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宝 田 橋 (たからだ ばし)
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宝田橋は、千代田区九段南1丁目と神田神保町3丁目との間で、千代田区道を渡す橋である。
この橋の創架は昭和4年、復興事業により東京市が木橋を架けたものである。
復興橋梁は、耐震・耐火構造を目指したはずであるが、意外にも全架橋梁数425橋のうち94橋が木橋である(*1)。この背景には、復興事業への厳しい財政的制約があった。木橋のすべては、東京市が架設した小橋梁である。隅田川右岸地域に3橋、その他は隅田川左岸地域、木場地区の網の目のように張巡らされた堀川や入堀に集中的に架けられた。木橋の構造などについて、当時の東京市土木局長牧彦七の次の発言がある(*2)。
「橋をいっそ架けないで済むならば架けない方がよいが、ともかく架ける以上は、これを木造の仮設的なものとするという事は、一面建築物の復興との進行と関係して面白くない。橋の両詰に耐火構造のものが出来るとは限らない。橋だけが仮設的であった場合、将来、橋を架替えする場合に、そこを再び河底から造りかえねばならず、建築物に重大な影響を及ぼすことになる。そこで、下部構造だけは、方針通り耐久構造に、上部構造だけを仮設構造とした」
宝田橋の当初の規模は、橋長26.7m・幅員7.0mであり、現在とほぼ同規模であった。 昭和33年(1958年)7月、橋長26.8m・幅員7mの鋼橋に改架された。
現在の橋は、これを昭和43年に架替えたものである。残念ながら、橋のデザインにおいて、川筋の歴史や界隈のあり様を示すものは何もない。高度経済成長期の典型的な橋、という意味でこの橋も時代を象徴している。
(*1)震災復興橋梁の計画とデザイン的特徴 伊東孝・岡田孝
第四回日本土木史研究発表会論文集(1984年6月)
(*2)帝都復興秘録 昭和5年3月 東京市政調査会編輯 P−193(要約)
- 橋梁形式 単純鋼箱桁橋
- 橋 長 27.00m
- 幅 員 8.20m
- 架設年次 昭和43年12月
- 建設機関 千代田区
- 管理機関 千代田区
- 最 寄 駅 地下鉄東西線竹橋駅/九段下駅
三田線神保町駅
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