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資料−3 帝都復興事業誌

第三節 設 計 第一項 設計要項
--- 第六目 意匠及び照明 ---



        第一 橋梁美
           ◆橋梁美の可能性
           ◆橋梁美の表現手法
           ◆美的ならざるもの
           ◆美をめぐる二つの主義=構造主義と装飾主義
           ◆橋梁美の本質
           ◆装飾のあり方
        第二 意匠の実際
           ◆主桁・主拱のデザイン
           ◆橋台・橋脚のデザイン
           ◆高欄・燈柱のデザイン
           ◆橋梁各部のデザインの統一
           ◆工作物意匠調査委員会による審査
        第三 照明
        第四 橋梁名称の表示




一 橋梁美


◆橋梁美の可能性

  橋梁の美的効果乃至意匠という点より、街路橋を論ずるに、いわゆる「美」は橋梁構造の本来の目的ではないが、行人の視目に映ずる都市構造物の一つとして、橋梁の外観に快適の感あるを要し、かつ周囲の風致とよく調和し、あるいは周囲の風致をよく啓発して、さらに都市の美観に資すること大なるを要すべきは言をまたないのである。

 しかしながら橋梁のごとき、実用的でかつ力学的構造物に対し、はたして美を求め得るべきか否か、換言すれば、有用にして同時に美しかるべきことが両立し得るか否かに関しては、多少の議論はあるが聚合建築、工場、倉庫のごとき、はた又、鉄塔、機関車、汽船のごとき、これら一切の功利的造形物においても今日、我々はしばしば美の可能なるを得るから、橋梁においてもまた、美の可能なるを信じ得るのである。



◆橋梁美の表現手法

  しからばいかにして橋梁に美をあらしむべきか、またいかなる手法をもって橋梁を取扱うべきか、かくのごときは、もとより作者の意想、作者の趣味にしたがって自ら表現せらるべきところであって、およそ橋梁の美は、建築物、工芸品におけるがごとく、造形を通じて、作者の意欲を空間に構成する表現の美に属し、他の純粋の芸術におけるがごとく、これら不羈奔放に描出するものとは自ずからその類を異にしている。
  ことに橋梁においては、その使用材料を著しく制限せられ、その構造は、まったく力学的に決定せらるるのであるから、その形態をほしいままに制作すること難しく、かつその形態は、古典的なるもの極めてすくなく、一般には近代の工学と近代の材料によりて構成せられ、いまだ歴史浅きがゆえに、様式に伝統なく、審美的経験をともなはず、美をして容易に表現せしむることが難しい。

 しかしながら、橋梁美は、表現において、一般の造形美となんらの相ことなるところなく、力の動的美観、空間容積の美的効果、安定のもたらす静的美観、目的に適応する真実的美観とうに関して、その原則を同じくし、
  美を構成すべき要素よりこれをみれば、全体の統一と、これにしたがう変化あるを要すること、あたかも音楽における主題とその変奏のごとく、
 荘重の感あらしむるには均斉と均衡とを必要とし、抑揚を富ましめんためには、比例と調和とを必要とし、中和的要素の挿入は全体に温雅の感を与ふるに必要にして、
  さらにこれを周囲との対立より考ふれば、環境との調和もまた欠くべからざるところであって、
 これらを要言すると、すなわち美の構成において、古典的法則もまた直ちに適用せらるるのである。



◆美的ならざるもの

  ひるがえってここに現存せる街路橋を橋梁美の見地より通観するに、適切なる手法をもって巧みに取扱われたる橋梁も少なからざると同時に一見して物足らざる感を与ふもの、あるいは醜悪なる感を呈せるものもまた少なくない。

  これら表現の美しからざるものは、その理由は、技術以外の種々の関係を含むこともあるが、技術上の失敗は、あまりに構造にとらわれ過ぎ、あるいは手際の鮮やかならざる欠陥を持ち、必要ならず冗漫に失せる粉飾的装飾を施すなどの諸因に帰することが多い。

 また、構造は構造として適切にして、意匠は意匠として巧みをつくせる場合にも、なおかつ美に乏しきものを見ることのあるのも、全容に統一せる主観を欠如せるによるのである。



◆美をめぐる二つの主義=構造主義と装飾主義

 今日一般造形物の美に対する手法には、根本より主潮を異にせる二つの主義がある。

  その第一は、美を構造それ自身の中に求めんとするいわゆる構造主義であって、この主義のものは構造は正当なる機能を有するとともに、充分自己の目的を果たすを第一義とし、付加的に実用上不必要なる一切の装飾を棄て、構造それ自身が所有する、線、面、容量、力などの諸要素が、有機的に融合して、空間に構成すべき美を求め、しかしてここに構造物の交響楽的美を描かんとするものであり、

  これに反して、その第二のものは、美しく飾ることによって構造物の美を作らんとするいわゆる装飾主義であって、この主義のものは、主力を専ら装飾に注ぎてその目的を果たし、表面は精巧なる技巧と有閑なる形状によって饒舌なる変化を語り、種々なる装飾を附加して、装飾のために装飾をあえてするのである。

 しかしてこの二個の主潮を折衷せる。あるいは何れかに多分に傾ける手法の多くあるは更に言をまたないところである。



◆橋梁美の本質

  造形の美は、すでに述べたごとく、功利の美に属し、実用的意味に不離の関係を有している。すなわち伽藍、劇場のごとき、比較的実用を遠ざかりたる構造物においてすら、目的がよくその形式と材料との使用の中に、表現せられたるところに美を発見し得るのである。

 かくして、造形の美は、第一に形態において語られる目的、あるいは機能の美を必要とし、第二に形態に表れたる形状色調の感覚的美を必要とする。ゆえに、如何なる手法をもって橋梁美を取扱うべきかに際しては、構造の機能を明示し、構造に忠実なることを第一とし、各分化は、相融合して一つの顕然たる通相を創造するを第二とし、装飾的橋梁が、美しき橋梁なりとするがごとき誤謬を棄てなければならぬ。

  しかして都市の構造物の一つなる橋梁の持つべき表現を要約すれば、すべての橋梁は、充分目的に適える構造を有するとともに、その構造は表現において充分目的に適える美を有せなければならぬ。「目的に適える構造物は必ず美しい、あるいは、美しければ必ず目的に適へり」とするは、無論、造形美の全部を説明するものではないが、よく一つの真理を洞破せる論であって、橋梁のごとき力学的構造物にあっては、まことに重要なる要素である、力学的の美しさが、橋梁美の過半を占むると言ふもあえて過言ではない。

  ここに注意すべきは、ある人の審美的経験は過去の多くの物象に基づくものであるから、力学より決定して目的に適へるものが、奇矯に見え、不安に感ぜらるることがありまた、錯覚によって、同様の現象を呈することもある、これらは避け難き場合にのみ適当の加減を要するのであるが、
   一般的に論ずると、構造は正直にして専ら力学に立脚し、ことさらに臆して逡巡逃避することになり、材料は正しく使用せられ、材料の目的は明瞭に表示せられ、決して遊戯的嬌態を演ずることなく、すべての点において有意義でなければならぬ。余分な装飾をもって美しからしめんとするがごときは、多くの失敗を招き、構造物をして醜化せしむるものである。

  橋梁美の発祥は、その細部にあらずして、実にその全体の形容よりこれを求め得べく、装飾は構造物を美化するものの最後のものである。ここに最後と称すゆえんは、装飾はもしこれを附加しない場合でも、更に影響を受くるとこ少なく、時としてこれが附加を欠きたるものの万々勝れるを見ることがあるからである。



◆装飾のあり方

  およそ如何なる種類の構造物も、構造各部の効果を凛然たらしめ、見る者をして相互の重任を感ぜしむるとともに、相互扶助の作用を感ぜしむることが緊要であって、装飾はこれに一つの余裕を与えて、快適の感を添えるべきものであるから、如何なる装飾もこれをいたずらに附して効果を減ぜしむるがことなきを要し、場合によれば、装飾の附加なき方、かえって有効なることがある。
 これを要するに、装飾的構造物を造らんとすることなく、構造物に装飾を附するを主旨とすべきである。

 かくのごとき考慮は、一般的橋梁美より離れて、復興の精神よりこれを論ずるとき、まさに当然の処置たるべく、浮華軽薄なる流行的装飾、不愉快なる意匠、退嬰物耽美的の趣味の一切を棄てて、設計は本道的なる形態を主題とすべきこと必然である。


第二 意匠の実際


◆主桁・主拱のデザイン

  橋梁美の根本は、橋梁の全容にあることは既述せるがごとくであるが、意匠の実際に当たっては最初より装飾によって橋梁を美化するなどの末法を棄てて、設計の第一に主桁の配置、構造の選定などに充分の考慮をした。

 すなわち、橋梁を代表する部分たる主桁の外貌は、河川を横断して、一岸より他岸に跨る水平の方向の伸長力が、充分展開せらるると同時に、水平の主桁は、垂直の荷重に充分耐え得る力と確実不同なる落着きを表し、
  拱橋にありては、主拱は、下部構造を踏みしめ、空間に跨れる姿態をしえ凛然たらしむることに注意した。

 単桁は水平に直線的ならしめ、支端に持送りのごとき趣向を施さず、また橋脚上にて連続せる桁の高さを増加したのは、外観の美を整はしむるとともに、力学的にもまた当然の結果である。
  鉄筋コンクリート拱の拱軸線に変垂曲線を選んだのは、その形状が、端麗なる曲線を美を有し、半径一定せる欠円の単調にして、かる荷重に対して合理的なるによるのである。

 しかして主桁あるいは主拱は、最も重要なる部分であって、力の観念を充分表現すべきものであるから、これに装飾は一切用いず、また特別の細工をなし、あるいは特に抑揚を附すること無く、最も露はにその構造を示した。
  鈑桁橋において、表面にコンクリートの仕上げを施せるものがあるのは、周囲との対照上鋼鈑桁の甚だしく弱く見ゆるを避けんがためである。
 コンクリート拱の表面仕上げには生地をそのまま露出せるものと、コンクリート生地の貧しき色調と汚点の生じ易きを避くるために、モルタル仕上げあるいは張石仕上げのものとある。いずれにおいても、拱環は飾らずしかもその輪郭を明瞭に表した。



◆橋台・橋脚のデザイン

  橋台、橋脚は上部構造を支持する部分であるから、努めて豪健にして強味ある外観を現はさしめ、頂部に笠石を配した以外には、まったく装飾を附せず、
  拱橋の橋脚には特に水切を附して、荘重の感を与え、
 橋台は護岸より幾分突出せしめて、その堅固なる姿態を現はさしめたが、河川交通の点より、その量を制限せられたから、幾分外観を弱めたのは遺憾である。



◆高欄・燈柱のデザイン

  路面上より望む橋梁の外観には、ここに橋ありとの観を明瞭に表示するものと、しからざるものとがある。
  河川幅広き橋梁あるいはその観を与ふるにふさわしい地点の橋梁には、前者の主旨をもって、特に親柱をたて、高欄、燈柱にも趣を与へたが
 これに反して、街頭繁華にして橋長短き橋梁においては、特異の意匠を作さず単純ならしめた。



◆橋梁各部のデザインの統一

  全体の美的構成に関しては、各部形式の多様に流るるを避け、もしも各部分は相互に背駆し撞着するも、全体に統一せる通相を有せしめ、奇矯なる対照、葛藤に充ちる統一にはしらんよりは、閑素なる釣合、温雅なる調和を選び、各分化は渾然として構成の美を作るに努め、饒舌なる技巧、浮薄なる装飾のごときは、一切これを棄てて、復興の橋梁の上に、勃然たる復興の精神を表はしめた。



◆工作物意匠調査委員会による審査

 橋梁意匠の設計は、主として土木部橋梁課において取扱ったのであるが、その一部は建築部技術課に託して作製し、しかして、設計案は、工作物意匠調査委員会に諮りて適否を決した。同委員会は、建築部、土木部の関係者及び局外の建築大家を嘱託して委員となし、橋梁のみならず公園その他の工作物に対してもその意匠の審査をなしたものである。


第三 照明


  橋梁路面の照明は、接続街路の照明と同一の主旨のもとに、燈柱上に電燈を附して路面を照明するを原則とした。

  接続街路が商店街なるときは、店頭の燈火数ありて、一般に、橋梁路面は、街路に比して他の燈火の影響少なきがために、街路と同一の照明を橋梁路面に使用するときは、橋梁路面は、接続街路に比して、幾分暗き感を与ふることは避け難いが、交通上不便なる程度に暗く、あるいは暗きが故に特に注意せざるべからざるごときは、むろん避くべきであるが、現今普通街路照明に使用しつつある程度の燈火をもってすれば、交通上特に危険なしと見とめ接続街路と同様の照明として、平方米当たり約ニ燭光の光源を設置し、歩車道境界縁石上に樹立せる燈柱の燈火を主とし、親柱に電燈装置を施せるものは、照明とともに橋梁の存在表示の一助とした。



第四 橋梁名称の表示


 橋梁名称は、橋梁入口四隅の親柱高欄終端などに橋名鈑を取付け、あるいは石材に直接文字を彫刻して、橋名を表示した。四箇所同一にして、使用文字は漢字をもって明確に表し、揮毫はこれを専門家に依頼した。
 呼称は、旧名を踏襲せるものは在来の習慣により、新名称なるときは、名称決定の際に仮名文字をもって呼称を明らかにしたが、橋梁に当該文字を取付くるに際し、振り仮名を付し、あるいは別に仮名文字を取付くごときは、はんにしてかつ必要なきものと認め、特にこれを添付せず漢字のみをもってした。

 橋梁架設工事施行者名称及び附帯的記録を名鈑に残す方法は内外諸国においても一定せず、最も懇切なるものにありては、橋名とともに執行関係者諸名設計工事関係者諸名、起工竣功期日採用荷重材料強度について詳記することもあるが、関係者諸名は、広汎にして詳記すること難く、かつ復興局架設橋梁の設計基準は、将来においてもこれを充分調査し得るから、強度荷重に関しても特に記録を示さず、単に竣功年月と復興局建造のみを名鈑に示して、これを橋台側面の安全なる位置に取付けた。