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資料−3 帝都復興事業誌

第三節 設 計 第ニ項 型式選定
--- 第ニ目 隅田川橋梁型式 ---


                   ◆総  論
                   ◆各  論
                         ◆相生橋
                         ◆永代橋
                         ◆清洲橋
                         ◆蔵前橋
                         ◆駒形橋
                         ◆言問橋
                   ◆附  記






◆総  論


  帝都を横断して流下し、商工業に水運の便をもって貢献するところ大なる隅田川は、河口なる永代橋附近に約600尺、上流なる言問橋附近において約500尺の幅員を有し,復興事業によって架すべき橋梁は、全6橋、その工費は約1200万円であって、東京橋梁費の約3分の一をしめ、その規模の大にして工事の迅速なりしことは、実に本邦都市において稀に見るところである。

 隅田川の六大橋は、がいし帝都の偉観たるべく、その関係するところも重大であるから、これが形式選定には充分の考究合議をなし、土地の状況および地質の状態を研究するとともに、材料製作および施行方法等に関して、種々なる調査をなした結果、附図27に示せる形式を採用した。

  六橋の形式を論ずるに先立ち、一般方針を概説すると、各橋は構造的にその架橋地点に最も妥当すべきはもとよりであるが、同時に外観に美を表現し、通行者に快感を与えることが緊要であるから、主桁には溝桁の形式を用いないで、鈑桁の形式を採用した。

  構桁を採るべきか、あるいは鈑桁を用いるべきか、その利害得失は、今日なお一つの問題であって、鈑桁を一貫して採用するのはやや大胆なるの感があったが、すでにその例も少なくなく、特に鈑桁の形式を選んだのは、構桁は構造複雑であるのみでなく、外観また煩瑣かる各点の剛性に基づく応力の影響大であるからである。

 しかして圧力に作用せらるる鈑桁腹鈑の屈曲に関して、幾分の疑念がそんすることから、種々の理論実験を参酌するとともに、特に1000t圧力試験機によって、四分の一大実験部材の強度を調査した。

  また地質は、橋梁形式に大なる関係を有し、隅田川橋梁は、その使命重大なるが故に、地質軟弱なる地点には、井筒あるいは潜函のごとき深層基礎を施して、硬地盤に達せしめ、地質比較的良好なる地点においても、底面広き基礎を施して、ともに工事の万全を期した。


◆各  論

第一 相生橋


 相生橋は他の五橋が、本流にあるに反して、派川上に架せられ、水運は比較的少なく、その位置は、海岸の埋立地にあって海水に面するから、其の地方的状態を考慮すると、得意性なきを可とするから、多径間にわたる突桁式上路鋼鈑桁を選定した。また本橋は上路橋であって、橋面上に構造物がないから、限界開け、遠望して風光をさえぎらず、かつ短径間であるから、たとえ潮害にあても架け替え簡単であって、その工費は六大橋中最も低廉ある。

第ニ 永代橋


  永代橋は隅田川河口を扼し、船運多く、中央径間の大なるを可とし、かつその爬行して河口を横断する巨姿は、帝都水路の偉彩たるべきであるから、橋型に中央径間330フィートなる突桁を有する繋拱を選び、両側径間に吊桁を配した。主桁構造は函形鋼鈑桁、拱は繋材を有し、支点に水平反力がないから、軟弱なる地盤に適し、基礎には圧搾空気潜函を採用した。

第三 清洲橋


 清洲橋は永代橋の上流に平行し、その距離近からざるも彼我望み得げく、永代橋と対照的位置にあるから、永代橋の上向きなる拱型曲線に対して、下垂線を有する吊橋を選定した。しかして吊橋は、ケーブルの水平反力を、巨大なる碇材に定着せしめるのが普通であるが、かくのごときは、橋台地を使用すること多く、かつこの構造は、一連のケーブルの終端が、両岸に定着し、地震動その他に関して好ましからざる影響があるから、本橋においては、ケーブル水平反力を補剛鈑桁によってとらしめ、水平反力に関しては、橋自身が全く基礎に独立せる自碇式吊橋の構造とした。この構造は、ドイツケルンのライン川吊橋に同じである。しかして、地質は永代橋と同じく、上層の地質軟弱であるから、圧搾空気潜函を採用した。

第四 蔵前橋


  永代、清洲両橋の地盤軟弱なるに反し、蔵前、駒形の地点は、地質良好であって、河底に近く砂質の層あり、杭打基礎をもって充分信頼し得るから、この両橋いは、いずれも3径間の鋼鈑にホ肋拱を選定した。
 蔵前橋は上路橋とし、かかる形式は、すでにしばしば見るところであるが、其の形状には特に考慮を払った。すなわち橋面縦断勾配は、両岸取付において三十分の一になるよう、放物線勾配を定め、このもとに3径間の放物線肋拱を配置して、そのホ点は、ひとしく同一水平線上にあり、しかも満載等分布荷重に対して、各橋脚の水平反力が、全く平衡するよう、各径間の支間と拱矢を定めた。しかして本所側においては、河岸道路を跨ぎて、鉄筋コンクリート2ホ拱の接続橋を架し、河岸道路と連絡するため、本橋橋台側面に昇降階段を配置した。

第五 駒形橋


  駒形橋は橋台地に近く、幹線街路があって、充分の盛土をなし難いから、側径間の拱矢は高からしむることを得ず、いきおい扁平なる拱形となるから、中央径間は下路型となし、支間の大なるとともに、拱矢も高くとった。しかしてその支間と拱矢の比は、側径間のそれより大ならしめ、かくして橋脚における水平反力を大略平衡せしめた。中央径間拱肋は、長大なるをもって函型とした。

第六 言問橋


 言問橋は隅田川上流にあって隅田公園に臨んでいるから、その形状は荘重あるいは軽快なりとするも、風趣を妨げることなきを要し、通行者が橋上より、周囲の樹木水色をほしいままに望みうるはむろん、これを遠望して周囲に調和させるの快感を与えることまた必要である。しかして軽快なる拱橋をもってさらに風趣を添えるも、一つの方法であるが、地質軟弱にして拱橋に適しないから、種々討究の結果、前例に乏しく、やや大胆なる感があったが、全長525フィートを有する本橋に対して、3径間の上路型突桁式のホ鈑桁を選び、鈑桁は、函桁にして四列配置した。本橋両岸の公園地帯は、土地低きをもって、本橋と街路との接続に各3径間連続鋼鈑桁を架した。

◆附  記


  以上は隅田川六大橋の型式の概略であるが、ここに附記すべきは隅田川橋梁の型式は、大正13年中に大体決定し、爾来鋭意細部の設計を討究し、一方工事準備は着々進行して、大正13年秋、相生橋の起工あって以来、大正14年中には、永代、駒形、蔵前、言問、清洲の順をもって、いずれも本工事に着手したのであるが、

  大正14年秋、かねてより懸賞募集中であったドイツマンハイム市のネッカア河上に新設せらるる全長196mフリイドリッヒエバアト橋の競争設計発表せられ、その審査の結果言問橋と近似せる突桁式鈑桁の設計が第一等を獲得し、永代橋と同様なる繋拱の設計が第二等に当選せることである。

 のみならず大正15年に起工せられたるベルリン市レアタア停車場附近フンボルト・エアフェンの街路橋は概ね隅田川橋梁に同じく、その形式は、清洲橋と同一であって、期せずして橋梁設計の傾向が、彼我その理想をつくせるものの一致を見たることは、設計関係者にとって実に興味ある事実を提供したものである。