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聖 橋 (ひじり ばし)
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聖橋は、千代田区神田駿河台4丁目と文京区湯島1丁目との間で、都道403号線(本郷通り)を渡す橋である。
この橋は、復興事業による新設橋梁である。永代橋や清洲橋で代表される隅田川橋梁群とともに、復興事業の目玉に位置付けられている。
構造設計を担当したのは復興局の成瀬勝武(*1)であり、この橋について次のように書いている(*2)。「聖橋のスタイルでは建築家の山田守氏に教わるところなど少なくなかったが、私自身の個性も出ていて、第一に高欄端には巨大な親柱をたてる旧習を廃し、装飾的なアクセサリィを省いた」。彼は、こうした考え方で設計計画を行った代表的な橋として数寄屋橋をあげ、「高欄は岡山県万成花崗岩が張られた流線型であって、パネルをソリッドとし、手すり部分の石は水磨き、単純なものは美しいという審美学的プリンシプルを実現させたものであった」と書いている。彼のデザイン思想は、単純な機能主義や構造主義に与してはいないけれども、機能主義的な考え方が強くあったものと思われる。
本橋のデザインに参画した建築家山田守は、多くの作品を残している。戦前のもので有名なものに、東京中央電信局(大正14年)(*3)、東京逓信病院(昭和13年)、戦後では厚生年金病院(昭和28年)、日本武道館(昭和39年)、京都タワー(昭和39年)などがある。
橋名は、東京市が公募し、湯島聖堂とニコライ堂(*4)から「聖」と命名されたものである。
(*1)日本橋川橋梁群のProfile---豊海橋---の項参照
(*2)土木技術25巻第4号「土木技術家の回想」P−129
(*3)東京中央電信局では、尖頭アーチがデザインモチーフとなっている。
「山田守建築事務所」に彼の作品集など詳細なレポートがある
(*4)正式名称は、正教会東京復活大聖堂である。カサーツキン・ニコライ大主教により明治24年建立される。関東大地震で破損したが、建築家岡田信一朗の設計で昭和4年再建される。
- 橋梁形式 主径間:鉄筋コンクリートアーチ橋 側径間:単純鋼鈑桁橋
- 橋 長 93.00m
主径間支間長:32.30m
側径間支間長:21.34m(神田川側)
側径間支間長:15.24m(本郷側)
- 幅 員 22.00m
- 架設年次 昭和2年7月
- 建設機関 復興局
- 管理機関 東京都
- 最 寄 駅 JR御茶ノ水駅
地下鉄丸の内線御茶ノ水駅/千代田線新御茶ノ水駅
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