●参考文献
- *1 「帝都復興区画整理誌」第一編
- 東京市役所編
- 昭和7年3月
- p-455
- *2 「帝都復興区画整理誌」第一編
- p-395
- 「一 荒川及び荒川派川(注)以外の河川に架設するに当たりては左記事項を遵守すること。
イ 河川の交叉点は合流点より110m以内(ただし距離は護岸交叉点より測る)の橋梁はなるべく1径間とすること。
ロ 橋台前面は出来る限り護岸法面と東京湾中等潮位以下1.112m(霊岸島水位基標零点)の水準面との交叉線より川表に突出せしめざること。
ハ 橋脚はなるべく河川の中央に設けざること。」
- 「四 ……神田川……に架橋するに当たりては橋桁下端において高さ東京中等潮位上3.4m(霊岸島水位基標零点上4.5m強)以上幅8.2m以上の径間1箇所以上を存置せしめること」
- (注)ここでいう荒川とは隅田川を指している。荒川放水路が完成したのは昭和5年であり、この当時の隅田川は、荒川の本流であった。
- *3 「東京の橋−水辺の都市景観」
- 伊東 孝
- 1994年4月
- p-135
- 「昌平橋は、震災前に架設された鉄筋コンクリートアーチ橋であり、復興事業ではこれを拡幅している。架設の時期について大正12年4月と考えている」
- *4 「帝都復興事業に就いて」
- 復興局土木部長 大田 円三
- 大正13年10月
- p-151,152
- 大田円三が大正13年7月に行った講演の記録(初版)である
- *5 「帝都復興事業に就いて」
- p-142
- *6 「帝都復興事業に就いて」
- 付図10
●橋梁群の工事費比較表
橋梁名 |
A |
C |
C/A 施 行 |
柳 橋 |
422 |
121 |
287 復興局 |
浅草橋 |
1,181 |
277 |
235 復興局 |
左衛門橋 |
533 |
136 |
255 東京市 |
美倉橋 |
788 |
179 |
227 復興局 |
和泉橋 |
1,573 |
342 |
217 復興局 |
万世橋 |
936 |
350 |
374 東京市 |
昌平橋 |
701 |
49 |
70 復興局 |
聖 橋 |
1,604 |
806 |
502 復興局 |
御茶ノ水橋 |
2,024 |
523 |
258 東京市 |
水道橋 |
481 |
153 |
318 復興局 |
後楽橋 |
462 |
137 |
297 復興局 |
小石川橋 |
324 |
75 |
231 東京市 |
合 計 |
10,993 |
3,148 |
286 −−− |
A:橋面積 (u)
C:工事費(千円)
C/A:uあたり工事費(円/u)
- 出典
- @帝都復興区画整理誌 第一編
- p-415〜475
- A帝都復興事業誌 土木編上
- 復興事務局編
- 昭和6年3月
- p-480〜483
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このホームページで記録する神田川下流部には、震災復興事業により11橋の復興橋梁が架けられましたが、そのうち8橋がアーチ橋です。アーチ橋が多くなった理由として、以下のような形式選定がなされたものと考えています。
形式選定プロセスを推定するため、次ぎの前提条件を設定しました。
- @神田川の川幅は、和泉橋付近から下流では計画幅員36m(*1)(復興事業により拡幅)、和泉橋付近から上流では20m〜26mである。
- A都心地区や江東地区などと比較して、川岸の地盤高が高く桁高の制約が少ないこと、及び地質が良いこと。
- B神田川や隅田川、また江東地区の運河などは、東京の物流を荷う基幹的交通施設である。このため、形式選定に当たっては、船舶の安全・円滑な通行に万全を期すこと。
ちなみに、復興事業に係わる「橋梁の桁下空間限界に関する標準」(*2)による橋脚の位置制限や桁下空間限界は、もっぱら船舶の通行に係わる規定である。
参考として、神田川筋での貨物扱い量は、年間173万トンと隅田川の246万トンに次ぐものであり、以下小名木川142万トン、大横川109万トンなどとなっている。また、1日当たり船舶通行量は、神田川315隻、隅田川968隻、小名木川717隻、大横川323隻となっている。これらから、神田川を通行する船舶は、比較的大型であったと推定される。(*4 大正12年の調査による)
なお、神田川筋には、秋葉原貨物駅、神田青果市場、陸軍砲兵工廠、飯田町貨物駅など物流拠点が立地していた。
◆形式選定プロセスの推定
- @径間割は、橋脚を設けず1径間としたこと。
- (1)万世橋より上流では、船舶の通行幅の規定値(*2 四)、橋脚の構造幅、洪水実績などを考慮すると1径間とするのが適切である。特に、既存の昌平橋は1径間である。(*3)
- (2)和泉橋より下流では、3径間が考えられるが、橋脚の構造幅や洪水実績などを考慮すると実施困難である。
- (3)上記区間について、2径間が考えられるが、船舶通行の安全性の面から橋脚が河川中央にくる径間割は好ましくない。(*2 一のハ)
- A1径間で架橋すると、和泉橋より下流ではアーチ形式の適用スパンと一致すること。
- (1)復興橋梁の形式選定について次の記述がある。(*5)
- 「隅田川以外の橋は、なるべく主桁が路面上部に出ないようにした。この場合に桁下限界もあり、前後の街路との取付けの具合などもあるので、アーチ型のものでは33m、単純桁型のものでは、まず18mを限度とする必要が生じてくる。」
- (2)以上から、浅草橋、左衛門橋、美倉橋、和泉橋(これらの橋長はおおよそ36m)は鋼アーチ橋となった。
- (3)柳橋(橋長38m)は、河口に位置する第1橋梁であるため、船舶通行の安全性を確保する必要上からも1径間とし(*2 一のイ)、かつ下路式とした。橋梁形式については、トラス形式も可能であるが、次項に述べる川筋に係わる一貫したデザイン意図によりアーチ形式とした。
- B橋梁群をアーチ形式で統一するとのデザイン意図があったこと
- (1)万世橋は、隣接して既存の昌平橋があるので鉄筋コンクリートアーチ橋を選定した。
- (2)後楽橋(橋長21m)は、鋼鈑桁の適用スパンとなる。しかし、アーチ橋を選定したのは、復興事業に係わった橋梁技術者達には、川筋の景観の連続性を確保するとの強いデザイン意図があった。結果として、「工事費比較表」に示すように、高価な橋となっている。
- (3)昭和63年に架替られた復興橋梁の旧水道橋は、単純鋼鈑桁形式の橋梁であったが、歩道部主桁をソリッドリブアーチとして外見をアーチ橋にしていた。これも、こうした一貫したデザイン意図による。この橋も、非常に高価になっている。
- (4)このデザイン意図は、日本橋川の分流点より上流(小石川橋より上流)の橋梁には適用されなかった。
◆聖橋と御茶ノ水橋の形式選定について
- @聖橋は、永代橋や清洲橋など隅田川筋の復興橋梁と同様に復興事業の目玉となる橋梁であった。このため、早い時期に検討が始められ、当初は下図のようなメラン式コンクリートアーチ橋(現在の鉄骨鉄筋コンクリート構造)が構想されていた。(*6)
- 聖橋の構想は、橋梁群の形式選定とは別個に位置付され、御茶ノ水の渓谷状の地形へのアーチ形状のマッチングの良さから発想、後に建築家山田守の参画を得てデザイン検討がなされたものと思われる。(聖橋のProfile参照)
非常に高価な橋梁となり、神田川橋梁群全体工事費の25%強の予算を投入することになった。
- A御茶ノ水橋の橋梁形式は、その架橋スケールから、聖橋と同形式のアーチ橋の選定が可能と思われる。ちなみに、聖橋と同形式とすれば、工事費約1,000千円となり、東京市が隅田川に架けた両国橋の工事費988千円とほぼ同規模となる。
しかし、東京市の復興事業に関する財政は極めて厳しい状況にあったため、鋼ゲルバー門型ラーメン橋の形式選定がなされたものと思われる。あるいは、聖橋との対比において、この静的な橋梁形式が選定されてたものと思われる。
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