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江戸幕府の橋梁管理 |
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◆橋梁の管理区分=御入用橋・組合橋・一手持橋 江戸市中の橋梁は、江戸時代中頃の宝暦5(1751)年の記録によると、おおよそ270橋となっています。これらは、次のように区分して管理されていました。 |
●江戸時代の隅田川橋梁関連年表
●参考:一両の概略時価換算率 日銀貨幣博物館によれば、江戸時代中頃(元文小判)の一両について 米価で約4万円 賃金で30〜40万円 そば代金で12から13万円 としている。 なお、米価基準の換算率は、江戸の各期で差があり、江戸初期で10万円、中期から後期で3〜5万円、幕末で3〜4千円としている。 ちなみに、徳川家は400万石。これを江戸時代中頃の米価基準で価換算すると約1,600億円となる。現在の国家予算は約80兆円、財政規模の巨大さがわかる。 ∵平成11年度政府買入価格 1kg=約270円 ∴ 米1俵(60kg)≒16,000円 ∴ 1石=米2.5俵≒40,000円 |
◆御入用橋の管理=財源確保に苦慮する 御入用橋は、江戸の最盛期において160〜170橋ほどありました。これらの橋梁は、町奉行所の掛かりとなっており、その改架や修繕にさいしては、その都度入札を行い請負人を決めていました。 |
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◆三橋会所設立と廃止=一時に終わった町方資金導入 永代橋の落橋事件翌年の文化5(1808)年、幕府は4,300両の巨費を投じて、永代橋を改架しました。 ◆町方による橋梁の日常的管理=利用者負担の原則 橋梁の日常的管理は、それぞれの管理者があたるのが原則ですが、御入用橋については、町方の負担となっていました。また、隅田川に架かる千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋の4御入用橋の水防も、町方の負担となっていました(江戸の洪水と橋梁参照)。 |