◆◆◆ 両国橋は、中央区日本橋一丁目と墨田区両国一丁目の間で国道14号「京葉道路」を渡す橋である。 創架は、明暦3(1657)年の江戸大火後、寛文元年(1661)に幕府により架橋され、千住大橋に次ぐ第ニ番目の橋であった。隅田川下流部での唯一の橋として、深川、本所方面のまちづくりに大きく貢献した。橋詰には、見世物小屋が建ち並び、江戸有数の行楽地となっていた。 「江戸時代の両国橋Profile」へ 明治8(1875)年、永代橋とともに東京府により新しい西洋式の木橋に改架された。明治30年8月の川開きの際、見物客により高欄が崩れ多数の死者をだしている。 「明治・大正期の隅田川木橋群」へ この事故を契機に架替が議論され、7年後の明治37年、東京市により鋼プラットトラス橋に改架された。架橋位置は、江戸期よりも約20m上流に移動した。 関東大地震の際、炎上する船舶の火焔により、上流側の歩道部床組の大半が焼失する被害をうけたが、床桁や主構には影響がなかった。 本橋の中央径間は、昭和7年、復興事業により亀島川の南高橋として移築された。現役の道路橋として供用されており、明治のトラスの構造や形を今日に伝えている。 「明治・大正期の隅田川トラス群」へ
◆◆◆ 現橋は、震災復興事業による復興橋梁である。 架橋地点は、比較的地盤が悪く、外的静定構造系とするため、3径間のゲルバー鋼鈑桁型式としている。同型式の橋梁としては言問橋がある。これらは、我国の鈑桁橋としては最大支間を誇った。 現橋の管理機関は国土交通省であるが、東京都の「隅田川の著名橋整備事業」に合わせて、修景事業を行っている。 橋体は、歩道部張出梁の鼻隠し(フェイスプレート)と修景で新たに設けた橋上バルコニーを赤、主桁側面を緑という2色の大胆な色使いとなっている。水平方向に伸びる赤い帯びにとって、隅田川のスケールがやや小さすぎたのではないかと思われる。 歩道部は、高欄、歩道舗装、歩車道境界柵など、全体景観とは対照的な暗色を基調とする、落ちついた配色となっている。また、高欄や歩車道境界柵には、軍配、花火、帆かけ舟などのパネルがはめ込まれていて、両国を象徴する事物をモチーフにデザインされている。