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吾  妻  橋(あずま ばし)


  • 橋梁形式 鋼2ヒンジアーチ橋(3連)
  • 橋  長 150.1m
  • 幅  員 20.00m
  • 架設年次 昭和6年6月
  • 建設機関 東京市
  • 管理機関 東京都
  • 最 寄 駅 東武伊勢崎線浅草駅      地下鉄銀座線/浅草線浅草駅




駒形橋   言問橋      Map Page








江戸名所図会(大川橋)




吾妻橋(明治20年改架)

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  吾妻橋は、台東区花川戸と墨田区吾妻橋の間で都道453号を渡す橋である。

  創架は安永3(1774)年、江戸期の隅田川架橋として最後のものであった。橋名は、正式には大川橋であったが、墨田区立花一丁目の吾嬬神社への道筋にあたることから吾嬬橋とも呼ばれた。明治9年の改架の際に吾妻橋と命名された。


  明治9(1877)年、東京府により西洋式の木橋に改架された。明治18年7月、隅田川の大洪水により落橋した。


  明治20年、東京府により錬鉄製プラットトラス橋で再架された。架設当時は、我国有数の長大橋として話題を呼び、錦絵などに盛んに描かれている。

  関東大地震の際、附近家屋よりの飛火と橋上家財の燃焼などにより、また橋下船舶の火災などにより、木造の床組がすべて焼失、鉄製部材も変形などの火害を受けた。





蔵前橋と比較して簡素な橋脚





親柱と歩道部
  • 背景の建築物は浅草のランドマーク
  • 琥珀色のビルはアサヒビール本社ビル
  • 隣はス−パードライホールと屋上の 「黄金の炎−フラムドール」  
  • フランス人 Philippe Starck の作品

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  現橋は、昭和6年架橋の震災復興事業による復興橋梁である。

  架橋地点の地盤は、非常に軟弱であるため、橋台、橋脚ともにニューマチックケーソン工法を採用している。したがって、上部構造型式としては、外的静定構造物が望ましかったはずである。実際、本橋の近くで地盤状況が同じ言問橋では、ゲルバー鈑桁型式を選定している。

しかし、あえてアーチ型式を選定したのは、次ぎの方針が復興局にあったものと思われる。

---両国橋(B)---280m---総武線橋梁(A)---560m---

-------蔵前橋(A)---410m---厩  橋(A)---
490m---駒形橋(A)---250m---吾妻橋------


---280m---東武鉄道橋(T)---310m----言問橋(B)

B:鈑桁橋、A:アーチ橋、T:トラス橋


  蔵前橋、厩橋、駒形橋と吾妻橋との位置関係を見ると、上記のように、4橋は他の橋梁と距離を保ち、しかし相互に接近した一団の橋梁群を形成している。これら4橋をアーチ型式で統一することにより、景観上のポイントを創ることができる。復興局は、永代橋と清洲橋とに次ぐ景観的クライマックスを、ここに創ろうと意図したのではなかろうか。

  本橋を架橋した東京市は、厳しい財政的制約のなかで復興事業を進めていた。本橋と同型式の蔵前橋とを比較すると、あえてアーチ型式を選定したために、工費節減に苦しんだ様子をうかがうことができる。(この項、「復興橋梁の計画プロセス」参照)

  1. 本橋は、蔵前橋の橋脚にある球形の水切りや、橋上バルコニーがないなど全体に簡素である
  2. 本橋の単位面積あたりの鋼重は313kg/uであり、蔵前橋=615kg/uのほぼ2分の一である
  3. 本橋の下部構造はニューマチックケーソン工法による井筒基礎であり、杭基礎の吾妻橋と工費の比較をすれば、はるかに高くなるはずである。しかし、両橋の鋼重の差などから、単位面積あたりの工事費は本橋=410円/u、蔵前橋=460円/uと逆転している